少しドラマチックに手術のことを書いてみる

8月15日、終戦記念日

普段なら黙祷する年もあるのだが、この日はそんな余裕もなかった。

 

手術は8時半開始。8時には手術着に着替えた。下着は何もつけていない。手術台が狭いため、足には血栓、いわゆるエコノミー症候群防止用のソックスを履いた。

 

看護師に呼ばれ、8時15分には手術室に向かう。その日の8時半は10組以上の手術患者がおり、手術室の前は混雑していた。大学病院のため、手術件数が膨大なのだ。

 

順番待ちをしてから、ようやく8時45分に担当医から呼ばれ、歩いて手術室に向かう。ドラマで見る手術室、手術台と全く同じだ。

 

手術台に登り仰向けになると、沢山の照明と看護師、麻酔医師がいた。脈やら何やら作業をしながら、呼吸器を当てられ、そのまま麻酔に入りますと言われた。

 

15秒くらいで意識不明に。

ーーーーーーーー

次に意識が戻ったのは、一般病棟の自分のベッド。意識が朦朧としている中、母親が手術が無事に終わったよ云々言っているのだけは聞こえる。

人は亡くなる直前まで耳の意識だけはハッキリしていると言われるが、どうやら正しいように感じた。身体は全く動かないし、反応もできないのに、声だけは聞こえる。

 

鼻には呼吸器のチューブ、下半身は全身麻酔中に紙オムツを履かされ尿管チューブが入っており、左手は点滴三種類、右肩鎖骨部分には傷口の排水受けのチューブ。足はソックスの上から静脈うっ血防止用のポンプが取り付けられていた。両首にはアイス枕、前の首にもネックレスのようなアイス枕を付けられていた。頭が冷えている。両耳が冷たくて痛い。まるでサイボーグだ。

 

首が全く動かない状態で長時間仰向けのため、やがて激しい腰痛になった。更に、止血剤の点滴の副作用が激しく、何度も嘔吐した。ナースコールを待てないため、酸素マスクを自力で外して仰向けのまま嘔吐し、そのまま吐瀉物が顔面に降りかかった。吐瀉物といっても、この時点で20時間ほど飲食をしていないため、点滴の中味を嘔吐していたように思う。看護師さんに顔を拭いてもらい、ベッド脇にティッシュとポリ袋を置いて貰った。ポリ袋はベッド脇のパイプにテーピングされ、落ちないよう固定されていた。それ以降、自分で酸素マスクを外してはティッシュを取り出して吐くことができるように。

 

両首と前首の冷却で頭が動かなくなり、後頭部に激しい頭痛を伴い始めた。麻酔から覚めてから暫くした夕方16時くらいから、生き地獄のような点滴の副作用による嘔吐と顔面吐瀉物散乱、、冷やし枕による顔面硬直、激しい腰痛、飲水の翌日昼までの禁止による脱水もどき、静脈うっ血防止用ポンプの違和感、尿管チューブなど、ありとあらゆる人口的な異物が自分の身体を叩きのめしていた。悶絶とはまさにこのことだ。そして、肝心の傷口は全く痛くない。

 

生きて退院できるのか、漠然とした不安がよぎった。

 

2時間おきの看護師によるチェック、枕の位置がズレたことによるナースコール、吐き気の訴えによるナースコールなどで、30分おきに看護師を呼び出す行為で甘えていた。結局朝まで一睡もできず。みなさんこの衰弱したババアの私を文句ひとつ言わずに看病していただき、本当に涙が出るほど嬉しかった。

 

しかし、朝イチで、尿管チューブを外す前に、強烈な便意を催した。術後は紙オムツと尿管チューブを装着したままで起き上がれず、やむを得なかったとはいえ、最終的にその処分までもやっていただいた。情けない。

 

便意のせいで、予定より早く1人で起き上がり、看護師さんの付き添いのもと、介助なしで歩く羽目になった。というか、死んでもいいから早く紙オムツから自分のパンツに履き替えたい。死ぬ気になると、自力で起き上がることはできた。しかし、フラついている。後頭部と頚椎はカチコチになっており、ハンマーで殴られたような激痛が走っていた。しかし、紙オムツのパンツへの交換意思の方が後頭部ハンマー🔨殴打よりも勝っていた。さらなる便意も遅いかかり、待ったなしだった。

 

一番大事な紙オムツからパンツに履き替えを済ますと、今度は二番手だった後頭部ハンマー殴打が襲いかかってきた。

 

我慢の限界を超えていたのに、その間、甲状腺外科部長などが朝の巡回を開始。最後の力を振り絞り、手術立会いすらしていない甲状腺外科部長に手術のお礼を述べ、主治医、執刀医の問診にも的確に述べた。この時点で頚椎と後頭部のハンマー殴打が限界になり、気絶寸前だった。朝ごはんはなし。水も未だに禁止。拷問に近い。傷口はどうでもいい。痛くなかった。それよりもアイス枕による頚椎と後頭部の冷えによる硬直由来の悶絶レベルの頭痛を何とかして欲しい。

 

最後の力を振り絞って、私は9時半くらいに看護師にロキソニンの処方をお願いした。ロキソニンが到着したのは11時過ぎで、もう昼近かった。その間、頭痛でうなされていた。

 

昼食に合わせてロキソニンを飲んだら、今までの激痛が嘘のように一発で改善。頭も腰もついでに傷口も痛みが治まった。

食事も水も、1日半ぶり。これもかなり拷問に近かった。

 

もっと早くロキソニンを処方してくれ!全てが解決するのに!

 

それが、今回の入院の感想だ。

 

ロキソニンよ、お前だけが救世主だった。