外科の病棟は外来の精神科よりもメンタル回復に有効???

3月末にクリニックで甲状腺乳頭癌を告知され、病院を紹介され、初めて大学病院の外科を受診し、8月15日に右葉亜全摘出の手術をした。

4月下旬に本部長と部長と課長のレポートラインに8月入院の報告をし、それ以外には病名を絶対に口外しないで欲しいと強く希望した。課内のメンバーには一部の人に甲状腺関連で入院とだけ伝え、詳細は明かさなかった。

 

その日から現在に至るまで、平常心を保ちながらも仕事を続けることは精神的にしんどいことも多かった。もともとメンタルが強くない上に、生まれて初めての外科手術、しかも癌、というのは耐え難かった。

 

今まで病院といえば、町医者か、せいぜい地元の総合病院だけしかなかった。できるならば、なるべくお世話になりたくない場所。特に町医者は当たり外れも多く、大半の医者は無愛想なオヤジで、サッサと薬を処方するだけだ。

 

しかし、今回の大学病院の一連の流れは、私の病院に対する見方を一新させた。

 

まず、入院時のチームプレイや各部署との連携がしっかりなされているという体制に驚いた。大企業と変わらない。

次に、コンプライアンスインフォームドコンセントが徹底されていたということ。

 

私の術式を決定するに当たり、私の希望はなるべく綺麗な甲状腺は温存させ、全摘はしないというものだった。その際に発生しうるリスクは説明された。また、全摘を選んだ時の後遺症の説明も的確になされた。半摘か全摘かで色々あったのは、バセドウ病の再検査で100%寛解していないことが判明したからだ。しかし、手術直前に再々検査をやり、数値に問題なかったので、最終的に右葉半摘出となった。

 

患者の納得いく説明がなかったら、そもそも信頼できる病院ではないので論外なのだが、自分としては、なるべく最善解を見出せるよう、自分なりに勉強したり、メモしたりし、病気と闘う意欲は示した。

 

医師も人の子だから、やはり、生きる意欲のある患者をしっかり診たいと思うだろう。そのあたりの信頼関係の構築は、自分なりにやったつもり。

 

【参考記事】第11回 インフォームド・コンセントの定着が“説明不足”を招いている

http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/column/14/091100014/081900011/?ST=m_medical

 

入院してからの現場は、冒頭で述べた通り、チームによる医療体制で、医師と看護師の連携もスムーズだった。外科病棟というのは、一種独特の雰囲気で、看護師の1日3回の体温計測定なども、重要な定量データとなる(都度PCに入力していた)。腹の調子がイマイチ悪いと私が言えば、聴診器を当てて大腸の動きを看護師がチェックすることもあった。創部の状況観察も都度行っていた。

オペ後の患者の容態変化には細心の注意を払って対応する看護師の姿勢は、本当にありがたかった。美男美女が多かったし。

 

そして、病棟外科医の回診。

大学病院の組織はよく分からないのだが、病棟にいる外科医というのは、概ね40歳未満の若手医師や研修医である。外来の診察を担当するのは主治医クラスで、若手医師は基本的に外来の診察をやらない。病棟にいる術前術後の患者の経過観察や、オペが中心だ。私が以前勤務していた業界になぞらえると、シニアアナリスト=主治医、ジュニアアナリスト=担当医、研修医、アナリストアシスタント=看護師という構図。似ていると勝手に思っている。

 

担当医だった、恰幅の良い黒縁眼鏡をかけたクマのプー先生は、温厚なジェントルマンで癖がなく、付かず離れずの距離感も絶妙だった。術後当日、麻酔や止血剤の副作用で私が散々騒いでも淡々と診ていただいた。

 

術後1ヶ月後の外来再診は、ピリッとした怖い女医の主治医ではなく、プー先生の方が良いのだが、まだ外来は担当していない。

 

入院から退院に至る一連の経験を通じ、首の中で勝手に自己増殖した魔物を退治したことで、ひとまず決着を付けたことが精神衛生上最も安心したのは言うまでもない。しかし、それ以上にたかが自分のような人間に対して、ケアしてくれる人たちの存在を通じたメンタルの回復も大きかった。手術前日は、麻酔で意識がないまま安らかに死んでしまいたいとすら思っていた。しかし、麻酔から覚めて嘔吐しているあたりから、生き延びてしまった以上、さっさと回復してやるという意識に変化した。そして、このメンタルの転換が、外科手術の副産物となった。クリニックの精神科の3分診察でこれといった会話もなく三環系の変な薬を処方してもらうより、人の手当てと会話の方が、よっぽど効果がある。そう思ったのだった。