世の中はみんな映画を見ている感じがする

お盆明けの平日なのに、そこそこ混雑していたSC。かなり疲れていたようで、術後初めて声がかすれてあまり出ない。今日は自宅で静養することにした。まだ体力がない。

 

教えて!gooより。

◆40代以上の独身者は生きていて何が楽しいですか?https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8476715.html

 

◆50代独身女性です。生きていく気力もないです。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8671945.html?from=recommend

 

私も質問者と似たような境遇だ。

ただ、No.7の回答者と同様、年に4回、知人が主催している落語会の皆さんと落語で大笑いし、その後師匠を交えて宴会で酒を飲むのは楽しい。

また、ワイン講座の仲間とも親しくなった。落語会の方たちと落語関係なくワイン会をやる機会も増えた。更に、うつ病防止のため、花を活けて無心になったり。これらがかなりの娯楽費にはなっているけどね。

無職や派遣社員が長引き、数年前に旧友連中と絶縁し、正社員になってからは誰も友達がいなくなった。同時に過労で家と会社の往復だけの生活になり、危機感を覚えた。それでも利害関係のない人と好きなことを楽しむ機会を増やしていったら、いつの間にか、少しだけ友達はできた。落語会も、ワイン講座も、知人に打診して1人で参加した。それは一歩前進と捉えていいのだろうか。

 

質問者に対する優れた回答のような記事を見かけたので、下記にリンクする。

 

◆「社会の奴隷から抜け出すため、ひとりになる」映画監督・紀里谷和明が語った生き方・創作

http://m.huffingtonpost.jp/2017/08/22/kiriyainterview_a_23158043/?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

 

あなたの肩書きなんかより、あなたの性別なんかより、あなたの国籍なんかより、あなたの年収なんかより、何よりも、あなたが今何を感じているのか?という事の方が。そっちの方が大切でしょ、って思っちゃう。

 

夕日を見て綺麗だなって思う事だったり、犬を見て可愛いなと思った事だったり、女の人を見て愛おしいなと思ったり、それはどこの誰でも変わらないですよ。極めて普遍的な事だと思います。ではなぜそんな大切なことがないがしろにされるのか。

→退院当日の夜、自宅から花火を眺めながら、生まれて初めて花火が美しいと自然に涙が出てきた時、この感性をこのまま大切に閉じ込めたいと思った。自分が生きている実感というのは、この瞬間なのだと。陳腐で他人受けをいかにも狙った「健康に感謝!」という表現で飴細工のように壊れやすい感情をぶち壊したくないと思った。

 

コロコロ変わる訳の分からない社会の基準に振り回されて、多くの人達が聞こえない悲鳴をあげている。その奴隷になっている。

 

僕にとっての答えは、ひとりになるしかない、というものでした。自由になるためには孤独を受け入れなければならない。

孤独というものが、あたかも悪いことのように、ネガティブな否定的な意味合いをもって語られるでしょ。ひとりぼっちってかわいそう、みたいな。それこそがまた集団的価値観による、意味の無いレッテル張りですよね。

 

だから内側が重要だというのはそこにあって、何か美しいものを作りたいと思ったからそういう職業に巡り会えるし、もしかしたらお花屋さんだったかもしれませんよ。映画じゃなくて。でも美しいものには変わりない訳です。

→花も内側の美しさを揺さぶるかもね。

 

究極をいうと、次に向かえなくても良いんです。それも外的なもので、「成功しないといけない」「何かにならないといけない」という事を皆さんがおっしゃるんだけれども、そんなのどうでも良いじゃん、そもそも、今あなたがそこにいるわけなんだから、いるだけで良いじゃんと。

何にならなくても良いし、好きなことをやれば良いし、それが実になろうが、実にならなかろうが、映画が作れようが作れまいが。重要なことはそれが本当にやりたいことなのか、それをやろうとしたのか、そしてそれを自分ができることを全て出し切ってやったのか、そこが重要。

 

よく聞かれる「私はどうしたらいいですか」という質問も、つまり私の手をとって、そっち側に連れて行ってください、みたいな感じなんです。

どうしたら強くなれるんですか? じゃなくて、この世界をあまり信じすぎなくていいと思うんです。僕は信じていない。

皆さん本当にすごく信じていて、だから集合体にカツアゲされてしまう。

僕からすると何か、映画を見ている感じでしかないんです、この世界って。

→ものすごく共感する。