捨てる神あれば拾う神あり

昨年来からワインを通じて親しくさせていただいている方から、昨日メッセージが来た。

 

入院は来週だっけ?と。

 

涙が出るほど嬉しかった。

GWの時に、特に病名は伝えていないが、大病で盆に入院するとだけ伝えていた。覚えてくれていた。 

彼女は波乱万丈な人生で、一時期は国際結婚もしていた。留学時代の専攻が特殊なせいか、様々な知識や教養が高い。現在は外資系企業に勤務し、日本で生活を送っている。

 

数年前から恒常的な残業が数年続き旧友連中と疎遠になったことで、ワインなど、日常よりちょっとした贅沢な時間を増やしたことで、自分の心の栄養分になる人と知り合う機会が増えた。

 

自分が30代で後悔というか、反省していることは、旧友連中と当時勤務していた会社の人たちとの繋がりしかなく、積極的に自分の価値観に沿う人脈を形成してこなかったことだ。ずっと失業やその後の繋ぎとして派遣を繰り返していた影響もあるだろう。人生で一番輝かしい時期に、失業と繋ぎの派遣生活を余儀なくされたことが、空虚な自分としての認識を強くさせている。自分はニートやひきこもりと一体何が違うのか?全く同類であるし、消費するだけの金食い虫だと。

40歳になる前に、それなりの規模の会社の正社員として復活できたのは、ありとあらゆる意味で非常に重要だった。旧友連中と疎遠になった別の理由は、自分が派遣社員という身分制度の最下位のような雇用で自尊心や自己肯定感が低くなったことが大きい。派遣社員として勤務した会社は世界的に有名なアメリカの会社の日本法人で、時給も2000円、社会保険は完備しており、周囲はプロフェッショナルだらけで、そこそこ及第点の環境だった。しかし、世間では、所詮派遣である。一人前の社会人ではない。独身の女性が結婚までの繋ぎでやるか、結婚後の女性が主婦の片手間にやるような類だ。

私は派遣会社のマージンという搾取や正社員並みに働いているのに時給が低い云々の主義主張は、ハッキリ言ってどうでもいい。

派遣は、自尊心や自己肯定感を失うような雇用形態でしかない、というのが、一番の問題である。

 

旧友連中と疎遠になってから、友達は殆どいなくなり、毎晩残業し、家と会社の往復になった。

 

最終的に体調がダウンし、貯まった残業代を新たな趣味に費やすことにした。そこで知り合った人たちが、現在の自分を支えている。

 

消費するしか芸がない自分は、相変わらず、ニートやひきこもりと同類である。